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A. LANGE & SÖHNE6年ぶりの東京で語ったあの人物の意志を継ぐランゲ哲学 04

現在も、そして未来もランゲが継承する
ギュンター・ブリュームラインの時計哲学

インタビュー開始後はソファにゆったりと腰掛けていたデ・ハス氏だが、途中身を乗り出したのはリピーターのノイズ発生原因を解説する時だけだった

インタビュー開始後はソファにゆったりと腰掛けていたデ・ハス氏だが、途中身を乗り出したのはリピーターのノイズ発生原因を解説する時だけだった。しかし最後の質問でブリュームライン氏のことに触れると、彼はさらにぐっと身を乗り出し、熱心にそれまで以上の声の強さで語り始めた。


 当初、今回のインタビューは2023年に発表された新作についてのみで終える予定だった。しかし久しぶりの再会ということもあり、かなり以前からアントニー・デ・ハス氏に伝えたい個人的な願望を伝えることにした。それは1997年ランゲ初のレクタンギュラーモデルとして登場した「カバレット」の復刻である。特に私は18Kピンクゴールドケース+ブラックダイアルモデルが好きで、この再臨を熱望している。そこでインタビューの場を借りて図々しくこの件を伝えると、話は思わぬ方向へと流れていった。


「(「あー、それか」というような声を出した後に)2010年以降『カバレット』は製造していないのです。限定版のトゥールビヨンはワンショットで発表しています(註:2021年の『カバレット・トゥールビヨン“ハンドヴェルクスクンスト”』)。トラディショナルなカバレットを発表すれば売れるって? 知っていますよ、みなさんから言われるんです。今すぐにではありませんが、私も個人的にカバレット・コレクションはあっても良いかなと思います。

 その理由は、現在のランゲにはレクタンギュラー・コレクションがないからです。今では販売経路のほとんどがブティックになってきているので、ブティック・コレクションとしても角型はあっても良いですね。特にシンプルな角型は女性に好まれる方が多いのです。と言っても、今すぐというわけには……。問題は現在の生産能力では追いつかないのです」(アントニー・デ・ハス氏。以下、同)


 日本の「カバレット」ファンはぜひ地道な復活運動をして頂きたい(私を含めて)。では最後の質問。2026年はブリュームライン氏の逝去から数えて25年という節目の年になる(氏は2001年10月1日に逝去。享年58歳)。そこで記念モデルの発表計画の有無を聞いたところ、きっぱりと彼は言下に否定した。


「それは無い、絶対にありません! なぜなら、もし彼が生きていたらそのようなアイデアは、絶対に認めないからです」


 とデ・ハス氏は深めに腰を下ろしていたソファから、グッと身を乗り出してきた。


「以前のことですが、ギュンター・ブリュームライン氏とウォルター・ランゲさんのダブルネームで、ハンターケースの時計を製作するという計画がありました。これはあるコレクターからのたっての要望だったのです。それでケースにふたりの名前をエングレーブした時計を(担当者か誰かに)見せられた時、ブリュームライン氏は怒りました。本当に怒ったのです。

『お前は馬鹿(idiot)か!? 』と(その相手に対して)言ったそうです。

 彼は自分を表に出すことを嫌って(hate)いました……。ウォルター・ランゲさんも同じ考えです。なぜかと言うとブリュームライン氏にとってブランドとは時計そのものなのです。個人名を出すブランディングを心底嫌っていました。

 というわけです。もし今も健在ならば、ふたりとも絶対にそのようなことは認めません」


 このエピソードはデ・ハス氏のランゲ入社前の出来事と思われる。彼の入社時には、すでにブリュームライン氏は逝去されていたからだ。何かというと自分を“前に”出す人物を色々と見てきたせいか、ブリュームライン氏とランゲ氏の考えは“ブランドとは何か?”を考えた時の明快なひとつの回答である。






ジャンピングセコンドという“普通の”機構に
唯一、例外的に個人名を採用した理由


「唯一の例外は、2018年に発表したウォルター・ランゲさんへのトリビュートモデルです(註:『1815 “ウォルター・ランゲへのオマージュ”』)。彼が前年に亡くなられてからちょうど1年後のことでした(註:ウォルター・ランゲ氏は2017年1月17日、ちょうどSIHH開催中に逝去。享年92歳)。これはジャンピングセコンド機構を搭載した『1815』でしたが、初代ランゲが150年前に発明した技術に由来するものでしたし、ウォルターさんが絶対に実現してほしいと願っていた機構でした」


 ランゲ・コレクションで個人名が付けられたり個人に関連する主だったモデルは、エミール・ランゲ生誕150周年に当たる1999年発表の「1815 ムーンフェイズ」や、2006年の「リヒャルト・ランゲ」、また2020年の「1815 ラトラパント・ハニーゴールド“F.A.ランゲへのオマージュ”」ぐらいしか思い当たらない。モデルに付けられた個人名は、すべて1990年の復興以前の時代に生きた人たちである。


「私は2004年にランゲに入社しましたが、最初にウォルターさんから言われたのが、

『ジャンピングセコンドモデルを作ってください』

 ということでした。私はなぜ? て思いましたね。それは意味があることだろうか? クロノグラフやスプリットセコンドの方が、もっと意味があるのではないだろうかと思ったのです。『クロノグラフの方が絶対良いですよ』と私は言って、ジャンピングセコンドの開発にはずっと抵抗していました。一度製作しましたがデザインがお気に召さなかったようです。その後も『リヒャルト・ランゲ』で製作しましたが、こちらはより複雑なコンスタントフォース機構を搭載しています。(ウォルター氏がジャンピングセコンドにこだわった理由は)この機構がランゲがドイツで最初に取得したパテントの機構だったからです。

 まぁ、このような事情があって、今後も人物名が入った時計は作らないと思います」


 そこで私が思い出すのは、1990年代後半のバーゼルフェアだ。取材中のIWCのブースで「ランゲをお見せしたい」と、ブリュームライン氏は私と名畑政治氏をブースの奥まで案内してランゲの新作を披露した。そのときの彼は、まるで我が子を人に紹介するかのような慈しみ方と、若干のはにかんだ様子で「ランゲ1」等を見せてくれた。自分のことより我が子を、という印象だった。


「ブリュームラインさんは、私が元々IWCに在籍していた時の上司です。もっと複雑機構の時計を作りたいと思っていた私は(註:当時のIWCで複雑時計は『ダ・ヴィンチ』ぐらいでさほど豊富ではなかった)、ルノー・エ・パピ(現APRP。オーデマ ピゲ・ルノー・エ・パピ)に移ることをブリュームラインさんに伝えると、彼は『なぜだ、なぜなんだ!?』と言って引き止めにかかりました。

 しかし私の複雑時計への意欲と意志が固いことを知ると、『わかった』と言って離してくれました。しかしその後、ある時私にランゲの時計を見せてから、私に『来ないか』と誘ってくれたのです。その後、私はランゲへと移りました。ランゲのことを教えてくれたのはブリュームラインさんで、そこへ誘ってくれたのもブリュームラインさんその人でした」


 残念ながら、デ・ハス氏がランゲに入社した2004年には、すでにブリュームライン氏は鬼籍に入られていた。日本のランゲ愛好家のみなさん。少し先の話になりますが、2026年10月1日の氏の命日には、亡きブリュームライン氏を想いつつ、できればランゲの時計を手に故人を偲んでみてはいかがでしょう(了)。



  • 「1815 “ウォルター・ランゲへのオマージュ”
  • 「1815 “ウォルター・ランゲへのオマージュ”」の18Kイエローゴールドケース・モデルのスペックは以下のとおり。Ref.297.021。ケース径40.5×厚さ10.7mm。手巻き、Cal.L1924。約60時間パワーリザーブ。限定数は写真の18Kイエローゴールドケースが27本(本数の理由は会社復興の1990年から当モデルの完成までに要した年数)、18Kピンクゴールド=90本(会社復興の1990年にちなんだ数)、18Kホワイトゴールド=145本(創業年の1845年から会社復興までの年数)、ステンレススティール=1本で最後のSSはオークションピースになった。このピースは2018年5月13日に開催されたジュネーブのオークションハウス「フィリップス」において、85万2,500スイスフラン(約1億3,940万円。2023年12月17日現在の為替レート、1スイスフラン=163.53円で換算)で落札された。
    (撮影:江藤義典)





取材・文:田中克幸 / Report & Text:Katsuyuki Tanaka
写真:高橋敬大 / Photos:Keita Takahashi
協力:A.ランゲ&ゾーネ / Thanks to: A. LANGE & SÖHNE


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