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JUNGHANSマックス・ビル、オリンピック公式計時、電波時計…多面体的活動でドイツ時計の雄となったユンハンス 03

バウハウス精神の継承者、マックス・ビル登場
そしてオリンピックから電波の時代へ…

マックス・ビル(Max Bill)

マックス・ビル(Max Bill)
1908年、スイス北東部のヴィンタートゥールに生まれる。チューリヒ市立美術工芸学校卒業後、1927年から1929年までバウハウスで学ぶ。当校では20世紀抽象絵画の巨匠ワシリー・カンディンスキーや、独特の色彩感を持つ画家・美術理論家のパウル・クレー等が当時の教授陣だった。1933年にナチスによるバウハウス閉校後、多くの教授陣や卒業生は米国へ逃れバウハウス運動を続ける(例:シカゴの「ニューバウハウス」)。その一方、バウハウス復活のために奔走したある女性の募金活動により、1955年、旧西ドイツにウルム造形大学が創設。マックス・ビルはその初代校長に迎えられる。彼はヨハネス・イッテン等を教授に迎え、バウハウスの理念をさらに徹底した新・機能主義を追求。1994年、ドイツ・ベルリンで没(※参考資料:『pen』2001年6月1日号。No.61)。


 プロダクトデザインに興味のある方なら、ドイツ語の「バウハウス(Bauhaus)」という言葉を一度ならず何度でも目や耳にしたことがあるだろう。ウィキペディアによれば(一部抜粋)、

「世界で初めて『モダン』なデザインの枠組みを確立した美術学校」であり、

「工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。無駄な装飾を廃して合理性を追求するモダニズムの源流となった教育機関であり、活動の結果として現代社会の『モダン』な製品デザインの基礎を作り上げた」

 と記述されている。

 純粋機能主義に則り“形態は機能に従う(Form Follows Function)”という有名な言葉を生み出した教育機関「バウハウス(Bauhaus=建築の家)」は、1919年ドイツ・ヴァイマル(ワイマール)に創立された国立造形学校である。この校名の命名者は初代学長に就任した建築家ヴァルター・グロピウス(1883-1969)。1925年にデッサウに移転後、1932年に私立学校となってベルリンへ移転するものの1933年にナチスにより閉校に追い込まれる。活動期間はわずか14年間。

  • 1956年発表の60分タイマー付きキッチンクロックの後、1958年にユンハンスはマックス・ビル設計のテーブルクロックも発表
  • 1956年発表の60分タイマー付きキッチンクロックの後、1958年にユンハンスはマックス・ビル設計のテーブルクロックも発表。さらに1961年にはついに彼が推進した純粋機能主義の極地とも言える腕時計が誕生する。“時刻の確認”という時計の大原則をバウハウスの“形態は機能に従う(Form Follows Function)”という純粋機能主義で突き詰めた、まさにミニマル・デザインの到達点。なお、現在でもユンハンスは写真の1961年モデルとほぼ寸分違わぬ製品をラインナップしており、P.05で紹介しているので見比べるとマックス・ビルの才能を再認識させられるだろう。


 第二次世界大戦後の1955年、バウハウスの教育理念を継承するウルム造形大学が旧西ドイツのウルムに創立され、その初代学長に就任したのがスイス人のマックス・ビル(1908-1994)である。彼は1927年から1928年までデッサウ校で学んだバウハウス卒業生であった(※参考資料:『pen』2001年6月1日号。No.61)。

 マックス・ビルはバウハウスの理念を推進させ、新・機能主義と言われるミニマル・デザインを開花させる。1956年、ユンハンスは彼に日用品としての時計のデザインを依頼。マックス・ビルにデザインを依頼した理由は、自社のデザイン・ノウハウの強化であった。「時計が好きで好きでたまらない」彼は「大喜びで」この話を了承する。そして生まれたデザインがキッチンクロック。これがユンハンスのためにデザインした彼の最初の時計となった。さらに1958年にはテーブルクロックも発表。そして1961年には前述の“形態は機能に従う(Form Follows Function)”という純粋機能主義に根差した、ミニマル・デザインの極地とも言える腕時計が誕生する。

 余談だが時計とデザイナー/建築家の関係というと、1990年代のエベル(EBEL)を思い起こさせる。自らを「時の建築家」と名乗ったエベルは、誕生地が同じラ・ショー・ド・フォンの建築家ル・コルビュジエ(1887-1965)との関係性を語るために、当地の北側にあるコルビュジエ作の邸宅「ヴィラ・トゥルク」を所有していた。彼はバウハウスに参加することはなかったが、強い共感を覚えていたという。またそれはマックス・ビルも同様で、ある新聞社のインタビューに「バウハウスに入学を決心したとき、まず初めに思い浮かんだ人物はル・コルビュジエだった」と彼は答えている(前述、『pen』より)。ちなみにル・コルビュジエを“フランス人”と誤解している記述がたまに見られるが、彼はラ・ショー・ド・フォン生まれの正真正銘のスイス人である。本名シャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリは地元の装飾美術学校を卒業しており、私と名畑編集長は1997年頃、その学校の生徒名簿や成績表を撮影し、そのフィルムは現在も保管している。

クォーツから電波式時計へと時計史の大変革期に対応

 さて1960年代に入るとついにクォーツの時代を迎える。これは他社も同じ状況だったが、ユンハンスがクォーツ式腕時計の開発に取り組み始めたのは1967年のこと。そして3年後の1970年には、ついにドイツ初の試作品「Astro-Quartz」の発表に至る。完成品は当時約800マルクという高価格で販売され、1972年になると搭載ムーブメントのCal.W666.02が量産体制に入った。またこの年に開催されたオリンピック・ミュンヘン競技大会でユンハンスは公式タイムキーパーを務めるが、この辺りの詳細はP.01のマティアス・ストッツ代表取締役のインタビューをお読み頂きたい。

 1980年代に入ると時計界での新技術として電波式が注目され始め、ユンハンスは1985年に誤差が100万年にわずか数秒という初の家庭用量産型電波式テーブルクロックを発表する。その1年後の創業125周年を迎えた1986年には世界に先駆けてソーラー電波時計「RCS1」が誕生し、ついに1990年にはドイツのフロッグデザイン(FROG Design)社との共同設計による、世界初の電波式腕時計「ユンハンス メガ1(Junghans Mega1)」が登場。さらに1992年、ユンハンスの技術者ヴォルフガング・ガンターは、光エネルギーを吸収し電波信号によって正確な時刻を表示する完璧な腕時計の試作品を業界誌に発表、翌1993年1月には量産段階の準備を整える。そして1995年、耐傷性に優れたセラミックケースにアンテナを内蔵した「メガ ソーラー セラミック(Mega Solar Ceramic)」が誕生し、「永遠に動き続け、絶対に狂わない」究極時計と評された。ユンハンスと言えばまず電波時計を連想するのは、この時代の一連の出来事が時計界に与えたインパクトの強さを物語っている。

 さて20世紀最後の年となる2000年に、ユンハンスはエガナ・ゴールドファイル(EGANA GOLDPFEIL)社の傘下に入る。


創立150周年を記念して名品「マイスター」が復活

 時代は21世紀に入った2003年、ユンハンスは日本のセイコーエプソンとの協業関係を締結する。翌2004年には特許取得のマルチバンド電波時計ムーブメントを発表。これは世界各国の時報信号を受信し自動的に正確な時刻修正を行うもので、電波受信可能地域は北米やドイツを含めたヨーロッパ、中国、日本という地球規模の広範囲に及んだ。このマルチバンド電波時計ムーブメントは改良を重ね、2011年にはCal.615.84を発表。さらに2018年にはセイコーエプソンの協力を以って完成した、新世代のインテリジェント電波式ムーブメントCal.J101.65搭載の「マイスター メガ」も登場した。

 一方、時計界では1980年代後半から徐々に機械式腕時計再評価の機運が起こり始め、この事態に呼応するかのようにシュランベルクでは機械式腕時計復興プロジェクトが発足。その結果、2006年に創業者へのオマージュとして高級機械式ウォッチシリーズ「エアハルト・ユンハンス(Erhard Junghans)」が誕生する。2年後の2008年発表の「エアハルト・ユンハンス1(Erhard Junghans 1)」には最高級の手巻き式ムーブメント、Cal.J325が搭載された。

 時計会社だけに限らないが、長い歴史を築いてきた会社には必ず紆余曲折があり転機となる時期がある。移り変わる政治体制や経済危機、2度の世界大戦を経験したユンハンスも例外ではなく、2009年ついにその時が訪れる。ドイツの『Finance』誌はユンハンスの債務超過を「ついに倒産」と見出しで報道。この後、2000年から傘下に入っていたエガナ・ゴールドファイル グループから抜けて、再びユンハンスは独立企業の道を歩み始める。新・ユンハンスの救済者を探すために登場した人物が、ヴェルナー・ヴィックライン氏と現在の代表取締役であるマティアス・ストッツ氏である。やがてシュランベルクの名誉市民であり起業家のハンス・ヨヘム・シュタイム博士等が新たなユンハンスの所有者となり、2009年2月からユンハンスは新たな扉を開くことになった。

 2011年には創業150周年を迎え、1930年代から1960年代まで発売していた「マイスター」モデルを新解釈した新シリーズの展開が決定、さらにドイツ全土を巡る大掛かりな創業150周年記念ツアーも敢行された。限定記念モデル「マイスター クロノスコープ」と「マイスター クロノメーター」は記念ツアー中、厳選された国内宝飾店のみでの発売。そしてガイスハルデの丘陵地帯に1918年から佇む「ユンハンス・テラスビルディング」で2011年4月15日に開催された式典が、今回の記念ツアーのハイライトとなった。同施設内にユンハンス企業博物館がオープンしたのは、その翌日のことだ。現在、ここが「ユンハンス テラスビルディング ミュージアム(Junghans Terrassenbau Museum)」としてシュランベルクの名所となっていることは前ページで述べたとおりである。

 またマティアス・ストッツ氏のインタビューの最後でも触れたが、ユンハンスは特に地元やヨーロッパのウィンタースポーツとの結びつきが深い。例えば2022年から2023年のシーズンにかけてスイスで開催された「アルペンスキー FIS ワールドカップ 2022/23」では公式計時を担当している。また「FIS ノルディックスキー世界選手権」では2019年のオーストリア・ゼーフェルト大会に続き、2021年のドイツ・オーベルストドルフ大会、次に2023年のスロベニア・プラニツァ大会と3大会連続でオフィシャルタイミングパートナーを務めている。


 マックス・ビルに見られるデザインや電波時計の技術、さらにスポーツタイミングへの挑戦という多面体的な活動で発展してきたユンハンスの歴史を見てきたが、もうひとつ重要なことは彼らが作り出す時計が極めてリーズナブルなことである。これは絶対に忘れてはいけない彼らの良心だ。まさに“高品位な製品をできるだけ多くの人々が手にすることができる”点において、民主主義国家であり世界に冠たる大・工業立国ドイツの精神を表しているのがユンハンスである。



協力:ユーロパッション / Thanks to:EURO PASSION




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