Swiss Watch Confidential Vol.25時計見本市として発展を続ける
時計見本市として発展を続ける
1931年には「シュヴァイツァー・ウーレンメッセ(スイス・ウォッチ・ショー/スイス時計見本市)」が独立したパビリオンでスタートする。ここでバーゼルにおける時計見本市の実質的な体裁が整った(筆者としては、長らくこれが起源だと考えていた)。また、「スイス時計見本市」と題していることからわかるように、あくまでも出展はスイスのメーカーに限られていた。情報によれば、パテック フィリップは1932年、ホイヤー(現タグ・ホイヤー)は1934年、ロレックスは1939年にそれぞれ初出展を果たしたという。
両大戦間のスイス時計産業は、中立という立場を有利に使って交戦国に対して軍用時計を大量に供給し、さらに第二次世界大戦後もアメリカを筆頭とする戦勝国向けの輸出で大いに業績を伸ばした。スイスは世界の時計産業の頂点に立ち、バーゼルで催される「スイス時計見本市」は、その誇らしいショーケースになった。展示ホールも次々に増設され、1960年代半ばには現在とほぼ同じ規模にまで拡大した。しかし当時までの建築は、1990年代終わりと2010年代の2回にわたって実施された大規模なリニューアル工事でかなりの部分が改築された。
しかし1970年代に入って、その内容に大きな変化が訪れる。「スイス時計見本市」は、スタートから40年を経て初めてスイス以外のフランス、ドイツ、イタリア、イギリスなど、ヨーロッパの時計メーカーに出展の門戸を開いたのである。1972年にまず「スイス時計見本市」と同時に「ヨーロッパの出合う場所」と銘打った「ヨーロッパ時計展」が催され、翌1973年には両者を統合して、名称もフランス語で「ヨーロッパ時計宝飾展(FEHB)」となったのである。
当時は、日本発のクォーツショックでスイス時計産業が危機に見舞われていたことも忘れてはならない。保守的で排他的なスイス時計産業が他に門戸を開放した背景には、ヨーロッパと手を携えて苦境を乗り切ろうという目論見もあったのではなかろうか。
そうした憶測はさておき、バーゼルの時計見本市が国際化の時代に向けてここから一歩踏み出したのは事実だ。冒頭で「2016年版公式ハンドブックに44回目とある」と書いたが、だとすると、バーゼルワールド主催者としてはこの1972年を1回目と考えていることになるわけだが、国際的な時計見本市の始まりという位置づけではたしかにそのとおりである。
構成・文:菅原 茂 / Composition&Text:Shigeru Sugawara
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