Swiss Watch Confidential Vol.25始まりはスイスの産業見本市
始まりはスイスの産業見本市
今年(2017年)が「バーゼルワールド100周年」と知ったのは、実は取材でスイスを訪れてからのことだった。会場で「100周年」と聞いても、最初はピンとこなかった。何をもってその起源とするかには諸説あり、また昨年の2016年版公式ハンドブックにも44回目と明記されていたこともあり、そこまで遡るとは今まで考えていなかったからだ。
その後100周年にまつわるトピックを探すと、さすがに100周年ともなれば、見本市主催者やスイス時計協会を始め、参考になる歴史資料は多少なりとも見つかり、これまでのバーゼル伝説を再検証する意味でも大いに役立った。ここで今一度順序だてて整理してみるのも悪くないだろう。
まず1917年という年に注目。ヨーロッパ全土を巻き込んだ第一次世界大戦中である。参戦したドイツ、フランス、イタリアに囲まれながらも永世中立を維持するスイスは、バーゼルで「シュヴァイツァー・ムスターメッセ・バーゼル」、ドイツ語を直訳すれば「スイス・バーゼル見本市」なるものを4月15日から29日の2週間にわたって開催した。「シュヴァイツァー・ムスターメッセ・バーゼル」は「MUBA=Mustermesse Basel(バーゼル見本市)」とも略称されるが、現「バーゼルワールド」の主催者が100周年を主張する根拠が、まさにこのMUBAの第1回開催なのである。
記録によれば、この1917年のMUBAには29のスイスの時計および宝飾ブランドが出展したとあるが、MUBAそのものは時計や宝飾品に特化していたわけではなく、多機能ナイフ、レース編み、チョコレート、チーズ、石鹸、玩具、靴といった身近なものから、はたまた化学や金融、運輸までスイスの幅広い分野の産業見本市で、出展企業数も全部で831にのぼった。ちなみに出展時計メーカーには、ティソを筆頭にロンジンやユリス・ナルダンなどが含まれている。
会場には、バーゼル市営カジノが使われた。シャンデリアが下がるパレス様式の瀟洒な室内に出店のようなスタンドが立ち並び、警備の者が辺りに目を光らせている当時の写真も残っている。スイス時計協会の記述によれば、1917年の第1回にはなんと約10万人以上もの人がこのカジノの見本市会場を訪れたとあり、その賑わいを受けて毎年の開催が決まったそうだ。ところでこの10万人というビジターは21世紀の「バーゼルワールド」とさほど変わらない。その盛況ぶりから1923年に現在のホール1の場所に初めて見本市専用のバーゼル・メッセが建設され、1926年には時計と宝飾品の専用展示スペースが設けられた。
構成・文:菅原 茂 / Composition&Text:Shigeru Sugawara
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