Watch Correspondence from Germany Vol.1 自然科学と精密技術において欧州の先駆けとなったドレスデン
「時計を作るのが楽しくて仕方がないのです」
と、まるで少年のように目を輝かす長身の男性は、AHCI(独立時計師創作家協会。通称アカデミー)のメンバーであり、ドレスデンの時計師の家系に生まれて5代目になるマルコ・ラング氏だ。
私が訪ねたのはドレスデンの静かな住宅街にあるラング&ハイネの工房であり、ラング氏の自宅。
ドイツの高級時計産地といえば、ザクセン州の小さな町グラスヒュッテを思い浮かべるが、この有名産地ではなく、古くから時計作りの伝統を持つドレスデンを、あえて選んだラング&ハイネの時計とはいったいどのようなものだろうか?
そもそもザクセンの時計作りの伝統は、16世紀のドレスデンから始まる。12世紀、エルツ山地で採掘された大量の銀と錫はザクセン国へ巨大な富をもたらし、科学技術と芸術文化を愛する国王の意向を受けて、積極的に測量用の機具や、時計を含む天文観測用の機材が製作された。
やがて力を蓄えた時計職人たちは国王に懇願し、銃の製造職人とひとくくりにされていたギルド(職人の組合)から独立。1668年に独自の時計職人ギルドがドレスデンで結成される。
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ドレスデンの中心地から離れた、静かな住宅街の中にひっそりと建つラング&ハイネの工房。マニュファクチュール規模ではなく、時計工房と名乗る故のこじんまりとした趣。
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ザクセン州都のドレスデン。写真中央は“レモン絞り器”の愛称で親しまれているガラスドームを擁する、1764年創立のドレスデン美術大学。その右側にそびえ立つのが平和のシンボルといわれる聖母教会。1945年2月の連合軍による空襲で破壊されたが、2005年に10年の歳月を経て再建された。
その115年後の1783年には、ドイツ国内ではかなり早い段階で、この地に天文台が設置され、天文観測に必要な精密クロックが製造されるようになり、やがてドレスデンは精密機器および時計の産地として、欧州で知名度を上げていった。
そのドレスデンの誇り高き時計職人の血統を継ぐのが、他ならぬマルコ・ラング氏なのである。
「うちは時計が完成すると、すぐにオーダー先へ納品するので、正直言って在庫の時計というのがほとんど存在しない状況なんです」
確かに工房には完成したモデルはあまり見あたらない。それも当然、年間製造本数はわずかに約50本。ただし、自社製造率は90%。つまり、ほとんどの部品を自社生産で賄っている。これは驚くべき数字である。
工房で働く時計師は12名。その平均年齢は30歳と若いが、ひとりの時計師がムーブメントの組み立てからケーシングまでを一貫して担当するという方針が貫かれている。
このように少人数で丁寧に作られるラング&ハイネの腕時計は懐中時計を思わせる古典的な意匠が特徴。これを見ていると、時計と科学測定器を展示する、ドレスデンの有名な「数学物理サロン」に並ぶ懐中時計を眺めているような錯覚を起こす。
ちなみに、この「数学物理サロン」が設置されているツヴィンガー宮殿を建設したのは1694年にザクセン選帝侯となったフリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強王。1670~1733)だが、数学物理サロンの原型である「ドレスデン美術収集室」を作ったのは、アウグスト強王の曾祖父の祖父であり、鉱山業と農業を助成し、科学技術を庇護したことから“父なるアウグスト”と呼ばれたザクセン選帝侯のアウグスト(1526~1586)である。
マルコ・ラング氏の時計には、「フリードリッヒ・アウグストI世」、「ヨハン」、「モリッツ」といったザクセンの歴代君主にちなむ名が付けられているが、その名が象徴するように、ラング&ハイネの時計からは自然科学の振興に情熱を捧げたザクセン君主たちの気高い誇りを感じるのである。
取材・文:宮田ツィマー侑季 / Report&Text:Yukie Ziemer-Miyata
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