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SPEAKE-MARIN着実にキャリアを積み上げるイギリス人独立時計師ピーター・スピーク・マリン

着実にキャリアを積み上げる
イギリス人独立時計師
ピーター・スピーク・マリン

熱心な時計愛好家を前にしてのトークショーということで緊張感をもって臨んだ。

2003年の初来日以来、大阪、東京、スイスといろいろな場所で取材を重ねてきたピーター・スピーク・マリン氏と私(Gressive編集長・名畑政治)。今回は熱心な時計愛好家を前にしてのトークショーということで緊張感をもって臨んだ。

  新作を携えて久々の来日を果たした独立時計師ピーター・スピーク・マリン氏。彼と行った伊勢丹新宿店メンズでのトークショーの様子をお伝えする前に、まずは私(Gressive編集長・名畑)とピーター・スピーク・マリン氏との出会いについてお話ししたい。


  私が最初にピーターさんと会ったのは2003年。当時、彼の時計の輸入・販売を手がけていた時計店の招きで来日し、大阪のイベントに参加したピーターさんを取材するため、私も大阪に出向いて、おそらく日本のプレスとして最初のインタビューを行った。


  その時、彼はまだ起業したばかり。スイス・レマン湖畔ロールにあった工房を、ひとりで切り盛りしていた。


  しかし、当時からスタイルは完成されており、印象としては現在のモデルとほとんど変わらなかった。とはいえピーターさんはその現状に決して満足しているわけではなかった。それはインタビューの最後に紹介した、この言葉からも伺える。


「ただ、僕は決してひとりでやることが最上とは考えていない。いずれ僕の工房でも時計師を増やし、いいチームを作りたいと思っている。それから来年の夏頃までには、自社ムーブメントの製作にも着手する。といっても僕はある程度の数は生産したいから、デュフォーさんのようにすべて手作りではなく、サプライヤーに部品を発注し、それを僕の工房で仕上げて組み立てる、というスタイルになると思う。期待していてほしいな」


  ここで彼が名前を挙げた“デュフォーさん”とは、スイス・ジュウ渓谷の工房で、ひとりで時計を作り続ける孤高の独立時計師フィリップ・デュフォー氏のこと。つまりピーターさんは、ほとんどの部品を自製するデュフォー氏のようなスタイルではなく、よりシステマチックな方法で自分の時計を作ると宣言したのである。


  この言葉通り、やがてピーターさんは自分で設計したムーブメントの生産を開始。工房の規模も徐々に拡大し、今では独立系時計ブランドとして確固たる地位を築くことに成功した。


  さて、そこで今回、改めてピーター・スピーク・マリン氏は、どんな経緯で時計師となり、彼にとって時計作りとは何かから、話を伺っていくことにしよう。

メカ好きのイギリス少年が
偶然に巡り会った時計師への道

熱心な時計愛好家を前にしてのトークショーということで緊張感をもって臨んだ。

Peter Speake-Marin
ピーター・スピーク・マリン

1968年、英国生まれ。17歳でロンドンの技術専門学校「ハックニー・テクニカル・カレッジ」に入学。卒業後、ピアジェ・ロンドン支店などを経て、ピカデリーの高級アンティーク時計店「ソムロ・アンティークス」で古典時計の修復を担当。その技術向上のためスイスのウォステップで学んだことを契機に1996年、ルノー・エ・パピに入社。2000年に独立起業し、現在に至る。

名畑:まず知りたいのは、イギリス人であるピーターさんが時計師になろうと思ったきっかけです。


スピーク・マリン:最初は時計師が、どういう職業か、まったくわかっていませんでした。そんな私に将来の指針を示したのが学校の先生です。当時、私は歴史や芸術、機械に興味があり、それらすべてを統合したのが時計だったのです。

  そこで先生の薦めにしたがって時計作りを教える技術学校に入学したのですが、そこに入った日から、とても楽しくて、“この方向は自分に合っている”と実感しました。


名畑:ただイギリスの17歳の少年が時計の勉強をすることに不安はなかったのですか?


スピーク・マリン:人によっては生きていくために働き、好きなことは趣味にする、ということもありますが、私は自分が本当に好きになった時計作りに携われたので、不安なんてありませんでした。


名畑:でも当時(80年代)は、機械式時計が不調でしたが?


スピーク・マリン:確かにそうですが、1988~90年ごろ、アンティーク・ウオッチ市場が活性化し、大きな成長を遂げました。この人気が盛り上がったことで新しい機械式時計の開発へつながったのです。また、当時はダニエル・ロートやフランク・ミュラーなど独立時計師が表舞台に出て活動を始めたころでもありました。


名畑:そのロンドンの技術学校では2年間で基礎を学び、その後、スイスで本格的な時計の勉強をするわけですが、その理由は?


スピーク・マリン:実は技術学校に入る以前、私が一番したかったのは世界を旅することでした。この欲求を満たし時計の勉強を続けるため、1987年にスイスの時計学校に入りました。


名畑:それがニューシャテルのWOSTEP(ウォステップ)ですね?


スピーク・マリン:そうです。ウォステップは時計修復に特化した学校です。ロンドンではクオーツからクロックまで学びましたが、クオーツは大量生産品ですし、クロックは大きすぎて興味が湧かなかったので、ウォステップで腕時計の修復を学びました。

  その後、ロンドンに戻ると、オックスフォードの時計販売会社からオファーがあり、そこに就職しました。


名畑:そこでは、どんな仕事を?


スピーク・マリン:主にロレックスの修理です。その6か月後にオメガに移り、さらに6か月後にはピアジェに移籍しました。


名畑:なぜ6か月で次々と?


スピーク・マリン:私は常に学びたいと考え、学ぶことがなくなったら会社を移りました。その後、ピカデリーにあるソムロ・アンティークスというヴィンテージ・ウォッチ・ショップに雇われたのです。

名畑政治

名畑政治(なばた・まさはる)
1959年、東京生まれ。1980年代半ばからアウトドア雑誌をフィールドにライターとして活動を開始。90年代に入るとカメラ、時計、紳士ファッションや装身具などをテーマとして情報誌やメンズ誌で取材・執筆。94年から現在まで、スイス時計フェアの取材を継続中。2015年、Gressive編集長に就任。

取材・文:名畑政治 / Report&Text:Masaharu Nabata


スピーク・マリンについてのお問合せは…
株式会社 大沢商会 時計部
〒103-0001 東京都中央区日本橋小伝馬町1-7 スクエア日本橋5階
TEL:03-3527-2682(時計部)
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INFORMATION

スピークマリン(SPEAKE MARIN)についてのお問合せは・・・

DKSHマーケットエクスパンションサービスジャパン株式会社
〒108-8360 東京都港区三田3-4-19
mail:cg.csc1@dksh.com


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