Grand Seiko日本屈指の本格腕時計組立工房『グランドセイコースタジオ 雫石』現地レポート 02
服部時計店のウオッチ製造部門
『第二精工舎』誕生
このようにして時代は掛時計から懐中時計、そして腕時計へと移っていったが、1937年(昭和12年)にウオッチ(懐中時計と腕時計)製造部門が『第二精工舎』として独立。1939年には東京の亀戸に本社工場が竣工した。この『第二精工舎』が現在のセイコーインスツル(略称SII)の原点である。
よく古くからの時計愛好家が、かつてのセイコー製品を「亀戸製」などと言うが、これはセイコーの東京での製造拠点が亀戸にあったことに由来する。
こうして服部時計店は、クロックを製造する精工舎、ウオッチを製造する第二精工舎を傘下に持つ日本随一の総合時計会社となった。
一方、長野県諏訪市では1942年に山崎久夫氏によって第二精工舎の協力工場として大和(ダイワ)工業がスタートし、部品製造や時計の組み立てを行っていた。
また戦時中の1943年には第二精工舎が諏訪市に疎開工場を設立。この工場と大和工業が合体し、1959年、『諏訪精工舎』が誕生する。これが現在の『セイコーエプソン』(1985年に改称)であり、先程紹介した「亀戸」と同じく、時計愛好家が「諏訪」と呼ぶのが、『諏訪精工舎』~『セイコーエプソン』において製造された製品である。
そして戦後はこの第二精工舎と諏訪精工舎が競うようにして製品を次々に開発。1960年代にはスイスの「ニューシャテル天文台クロノメーター・コンクール」への挑戦を開始し、1967年には二社が機械式腕時計の部門で、それぞれ2位と3位に入賞するという成果をあげた。
豊かな自然に囲まれた
時計製造の一大拠点『盛岡セイコー』
やがて1970年、『第二精工舎』は岩手県雫石町にウオッチ製造の一大拠点として『盛岡セイコー工業』を設立する。雫石の自然に恵まれた静かな環境は時計の製造にうってつけであり、1971年には工場が竣工し、ウオッチ部品の製造部門が操業を開始する。
さらに1974年には専属の部品工場として岩手県二戸(にのへ)市に『二戸時計工業』を設立。1993年には岩手県遠野市で時計部品を製造する『遠野精器』(1977年創業)に資本参加し、1996年には子会社化した。
これにより岩手県において盛岡セイコーを主軸とするウオッチの一貫生産体制、つまりマニュファクチュールとしての体制が整えられ、1999年にはセイコーインスツルメンツ(当時。現在のセイコーインスツル)の国内ウオッチ製造が盛岡セイコーに集約されることとなった。
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