Le monde des créateurs indépendants時計デザイナーの夢を具現化した独創ムーブメントのウォッチ・コレクション
独自開発の棒型ムーブメントを軸とする
個性的な時計コレクション
やがて原さんがアイデアを出し、小堀さんがそれを具体化する形でひとつのムーブメント(の原型)ができあがる。これを基に小堀さんが改造試作を7回も繰り返して製品版が完成。それが今回の製品に搭載されている輪列を直線に並べた棒型のムーブメントである。
「なぜ棒型かというと、人間は400年間ずっと丸型のムーブを作ってきましたが、逆にデザイナーはその形状に呪縛されていたのです。それを変えれば、これまでの時計の400年の歴史とは違うものができるだろうと考えたのです。
そして、この棒型ムーブメントを量産し、私独自の外装を作ろうと思いました。それは360度前方向からムーブメントが見えるケースという、これまでとはまったく違うアプローチ。これは似たようなバー・タイプのムーブメントを採用しているコルムにはなかったものです」
文章にすると簡単に思えるが、現実にムーブメントを開発し、それに見合った外装部品を製造して組み合わせることは想像以上に難しかった、と原さんは言う。
「日本における機械式ムーブメントは、セイコーやシチズンなどによって発展してきましたが、その技術はいわば門外不出。しかも機械式ムーブメントの開発担当者は高齢化し、設計や製造のノウハウは社内でも絶滅しつつあったんです」
「時計開発の技術とネットワークを
若い人に受け継いで欲しいのです」
そんな苦労の中、あえて通常とは異なる棒型ムーブメントを新規開発した理由を原さんはこう説明する。
「複雑な機構を持つムーブメントは、どんな事をしてもスイス・メーカーには太刀打ち出来ない現実があります。そこで、この真逆の構造を採用し、最もシンプルで原始的な歯車を一直線に並べる構造を採用したのです」
こうして棒型ムーブメントは出来上がったが、外装部品を作る段階でも障壁があった。
「現在の国産時計ではムーブメントも外装も、大半は中国製造に移行しています。ただ、外装部品の製造については2大企業が外部の下請け会社を利用していたため、そのノウハウが国内に残っていたのです。しかし、日本時計産業の衰退によって多くが廃業し、生き残った工場は、ごく僅か。ですから部品製造会社を探すのに難航し、当初は2年程度で完成するはずが8年以上もかかってしまい、2017年にやっと量産サンプルができました」
こうしてやっと見つけた数少ない部品製造会社とやりとりして改良点を見つけては試作を繰り返したという。これは量産化して安定した品質を実現するためというが、なぜ原さんは、そこまでの熱意で量産を目指したのか?
「私は一点生産で高額なモノよりも、なるべく量産化し、いろいろな人に着けてもらいたいという思いがあったんです。作るのは一点モノのほうが楽です。デザイナーや時計師の技量だけで完成しますから。しかし量産となると話は別。さまざまな人の協力があって初めて実現するのが量産ですし、すべての部品が均一なレベルに仕上がっていないと決して完成しませんからね」
結局、原さんと小堀さんによる設計を元に部品の製造やメッキ仕上げ、ネジの製造なども含めて10社ほどが、この時計の製造に関わっているという。たとえば、チューブを使ったペンダント・ウォッチやパイプ・ウォッチのステンレス・ケースは東京練馬の工場に発注。デュアルタイム・モデルやシングル・ムーブメント・モデルのケースは福島県の工場に発注したが一昨年で工場が閉鎖され、現在は在庫のケースを使ってのみ生産が可能だという。そして小堀さんが組み上げたムーブメントは原さんが前職時代から関わりのある長野の会社に送って外装に組み込み、完成品とする生産体制が構築された。
「ムーブメントについては、スイスのメーカーが数百年かけていろいろやっているので、我々がどう逆立ちしても追いつけない部分が多いんです。しかし、外装に関してなら日本の伝統工芸の技術を使い、欧米にない素材と着装を具現化した時計はできると思うのです」
長年の思いを具現化し、独自設計による時計を完成させた原さん。その原動力となったのは単に自分の着想を製品化したいというだけではなかった。
「私が構築した時計作りのネットワークを次に続く人に残したいですし、技術を持った人間が若い人に伝えていって欲しいと思うのです」
取材・文:名畑政治 / Report & Text:Masaharu Nabata
写真:江藤義典 / Photo:Yoshinori Eto
INFORMATION
独立時計デザイナー・原 久さんについてのお問合せは・・・
(株)瑩
〒165-0022 東京都中野区江古田1-6-15 ヘーベルメゾン哲学堂206
TEL03-6908-1248