Le monde des créateurs indépendants時計デザイナーの夢を具現化した独創ムーブメントのウォッチ・コレクション
「時計デザイナーとして、
自分なりの時計が作りたかったのです」
原さんとの出会いは7年ほど前。東京ビッグサイトで開催された『国際宝飾展』に原さんの元同僚が出展しており、そのブースで名刺交換したのがきっかけ。その時、すでに自身のアイデアによる時計の開発をスタートさせていた原さんから「完成したら連絡します」と言われたものの、ずっと連絡がなかった。ところが2019年3月、原さんから突然“時計が完成しました”とのメールが届いたのだ。
だがなぜ、時計の外装をデザインする立場であった原さんが、ムーブメント開発から時計作りに関わろうと考えたのか? まずは、この素朴な疑問から話を始めたい。
「この時計の開発を開始したのは今から9年前。セイコーエプソンは円満退社でしたが、その理由は、宝飾時計中心で仕事をし、この分野はある程度の市民権を得たので、“僕の仕事はもうこれでいいかな”と思ったからです。
なぜそう思ったかというと、やはり量産時計では制約があり、そこから一歩前に出て自分の意図するモノを作りたかったから。
つまり、時計はムーブメントとケースやダイアルなどの外装で構成されますが、我々デザイナーは中身であるムーブメントにはタッチできなかった。しかし、本当の意味で自分なりの時計を作るならムーブメントからデザインした時計を作りたかったのです」
夢の実現を大きく後押しした
市井の時計師との出会い
セイコーエプソンを退社した原さんはフリーランスの時計デザイナーとして活動を始める。とはいえ余計なお世話だが、仕事はあったのだろうか?
「たしかに途中、何回か社員に戻りたいと思ったこともありましたが、世の中にはフリーの時計デザイナーなんて存在しませんから、宝飾デザイナーの知人から“顧客がこんな時計を欲しがっている”と紹介され、私がデザインし、知人や元同僚による時計作りのネットワークを使って時計を作って納める、といった仕事はありました」
この独自のネットワークによる時計作り。これがやがて原さんの思い描く時計作りへと繋がっていく。
「そんな仕事をしていた時、たまたま小堀康広さんと出会ったのです。今から10年ぐらい前のこと。ある時計修理工房で“面白い時計を作っている人がいる”と自転車店を営む小堀さんを紹介されたんです。
そこで実際に会ってみると、実にさまざまな時計を作っていたんです。中でも凄かったのはミニッツリピーター。ブレゲのイラストを見てトゥールビヨンも10数本作っていましたし、既存ムーブメントに独自の機構を組み込んで奇想天外なおもしろ時計も作っていた。本業は自転車屋さんなのですが、これにびっくりし、彼と一緒に仕事をしようと決意したんです」
非凡な才能を持つ市井の時計師である小堀さんとの出会いが、原さんの創作意欲を掻き立て、いよいよ本格的な時計作りへと向かうのである。
取材・文:名畑政治 / Report & Text:Masaharu Nabata
写真:江藤義典 / Photo:Yoshinori Eto
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(株)瑩
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