BREGUET | ブレゲ ヴェルサイユ宮殿が日本で開催するこれまでにない規模のマリー・アントワネット展をブレゲが支援
ブレゲ社社長兼CEOであるマーク A. ハイエックが、ヴェルサイユ宮殿とパートナーシップを提携し、今回初公開となるマリー・アントワネット回顧展を支援することになりました。このパートナーシップは、マリー・アントワネット王妃が愛してやまなかったプチ トリアノン宮の2008年の修復工事を実現したメセナ活動の流れを汲むものです。メゾン・ブレゲはこうして今年、ブレゲの顧客の中でも最も代表的なこの女性に、新たな、そして最高のオマージュを捧げます。《マリー・アントワネット、ヴェルサイユの王妃》展は、2016年10月25日(火)から2017年2月26日(日)まで、著名なミュージアムである、東京・六本木の森アーツセンターギャラリーで開催されます。
ここで、ブレゲとフランス最後の女王との並外れた結びつきについて振り返りたいと思います。1762年、母国スイスを後にしてパリに移り住んだアブラアン-ルイ・ブレゲは、その後の輝かしいキャリアと、自らが時計製造の世界に大きな革新をもたらすことになるとは知る由もありませんでした。フランスの宮廷に人脈を持つ司祭、ジョゼフ=フラソワ・マリーの庇護を受けたことが、有力者たちとつながりを持つきっかけとなりました。ほどなくして、一人の女性が彼を贔屓にするようになり、彼のキャリアにとってだけでなく、時計産業の歴史にとっても重要な役割を果たすようになります。この女性は誰あろう、フランス王妃、マリー・アントワネットでした。
比類なき絆の始まり
1775年にパリのケ・ド・ロルロージュに工房を開いたA.-L・ブレゲは1782年に王妃から初めて注文を賜り、カレンダーとリピーター機能を備えた自動巻き時計を製作しました。ブレゲが初めて王妃にお目見えしたのはこの頃だと思われます。王妃はたちまち、ブレゲが考案する精巧で見事な時計に魅せられ、最古参の熱心な女性顧客の一人となりました。これから流行すると思われる新しいものに目がなかった王妃は、ブレゲの時計を一つならず買い求め、フランスの宮廷人のみならず外交官を含む外国からの客人にも、ブレゲの才能を自分がいかに高く買っているかを進んで伝えました。1780年代の宮廷生活の在り方を考えると、まだ無名に近い職人の名声を高めるのに王妃以上に影響力を行使できる人はいませんでした。生涯の終わりまで、王妃は心変わりすることなくブレゲを贔屓にし、1792年に囚人としてタンプル塔に幽閉された後もブレゲのシンプルウォッチを発注しました。
王妃のための伝説の時計
ブレゲは、最も複雑な機構を備えた前代未聞の時計としての地位を一世紀近くも譲らない製品を考案しましたが、それは誰あろうマリー・アントワネットのためでした。ことの発端は、1783年に王妃の護衛官の一人(誰であるかはいまだに謎です)から受けた驚くべき注文です。当時知られていた、あらゆる複雑機構と最新の技術を組み込んだ時計を王妃のために製作してほしい、という注文でした。しかも、製作期間にも費用にも一切限度が設けられていませんでした。可能な限り、ゴールドを他の素材に置き換えて使う、というのも条件でした。単なる注文というより挑戦の投げかけであり、ブレゲはこれを受けて立つことを名誉に思いました。しかし、王妃はブレゲの傑作を愛でることはできませんでした。時計が完成したのは1827年、すなわち王妃の死から34年後、注文があってから44年後であり、そしてA.-L・ブレゲ本人の死から4年後のことでした。この時計の極めつけの複雑さとその数奇な歴史は、2世紀以上にもわたって時計業界と収集家たちの心をつかんで離しませんでした。誰しもが時計作りの技巧の傑作と認めるこの作品がたどった運命はあまりにも多くの謎と秘密に包まれているために、人々を魅惑してやまないのです。近現代においてもエピソードは事欠かず、1983年にエルサレムのミュージアムから盗まれ、2007年12月に発見されました。1999年にブレゲをスウォッチグループに吸収した故ニコラスG. ハイエックは2005年、この並外れた懐中時計のレプリカの製作という壮大な計画に乗り出しました。残っているわずかな資料だけを頼りに、これほど多くの複雑機構を再現することは、メゾンのマニュファクチュールの時計職人にとっても容易なことではありませんでした。古文書や、ブレゲミュージアムばかりでなくパリ工芸博物館をはじめとする著名な文化・学芸機関が所蔵するオリジナルデッサンだけが、この時計の一つ一つの機能や装飾要素を解明するための情報源でした。この信じられないほど途方もない再現の過程において、王妃が愛していたヴェルサイユの樫の木が悲しい最期を迎えようとしていることをメゾンは知りました。病気にかかっていたこの木は切り倒されるところでした。そこで、伐採された木の一部で新しい〝マリー・アントワネットの時計〟を収める化粧箱を作り、この樫の木に第二の命を与えることが決定されました。ヴェルサイユ宮殿からこの樫の木の一部を提供されたブレゲは、そのお返しとして、メゾンの歴史とも深くかかわっている王宮のサポーターとなることを決めました。これが、ブレゲとヴェルサイユの絆の新たな布石となったのです。
プチ トリアノン宮、王妃が愛した離宮
欧州の歴史・文化遺産の保全に貢献したいと考えていたブレゲは、マリー・アントワネットが所有し、心から愛していた離宮、プチ トリアノンを往時の姿に蘇らせることでヴェルサイユ宮殿を支援することを決定しました。プチ トリアノンは王妃にとって単なる住まいではなく、宮廷の煩わしいしきたりから逃れ、息抜きの楽しみを満喫して自分らしい生活を送るための、お気に入りの洗練された空間でした。ブレゲの支援により、フランスのネオクラシック建築の至宝であるこの離宮は再生を果たしました。装飾はすべて元の通りに修復され、ミュージアムとして見学者を迎えるための整備が行われ、居室は再び家具で飾られ、電気などの設備も更新されました。2007年に始まった修復工事は2008年9月に終了しました。
マリー・アントワネット、日々のインスピレーションソース
メゾンの高貴な顧客であったマリー・アントワネットへのオマージュとして、ブレゲは王妃を取り巻く世界に絶えずインスピレーションを求め、比類なきピースを創作しています。例えば、2009年に発表されたハイジュエリーコレクション 《ローズ・ドゥ・ラ・レーヌ》 は、女性肖像画家エリザベート・ヴィジェ=ルブランが描いた有名な《薔薇を持つマリー・アントワネット》 に触発されたコレクションです。ブレゲは、この有名な絵の中で王妃が手にしている一輪のバラに着目し、シェルのいくつもの層に手作業で浮き彫りを施す、南イタリア伝統のカメオ工芸でこのバラを表現しました。《レ・ヴォラン・ドゥ・ラ・レーヌ》は、マリー・アントワネットの装いへの鮮やかなオマージュです。2014年に発表されたこのコレクションは、当時のドレスを飾っていた、襞を寄せた極上のシルクやレースを模した優雅で複雑な形状で驚きを与えました。マリー・アントワネットにとって自分を取り戻す安らぎの場であったプチ トリアノンも、ブレゲのインスピレーションソースとなりました。2009年に誕生したジュエリーコレクション 《プチ トリアノン》 は、王妃が心から愛したこの離宮のシンプルでありながら王家の気品に満ちた佇まいを、凝った解釈を避けて素直に表現しています。
※2016年7月時点での情報です。掲載当時の情報のため、変更されている可能性がございます。ご了承ください。
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